UPCなき世界:成功している裁判所が消滅しうる理由

統一特許裁判所(UPC)について言いうる最も居心地の悪い指摘は、それがドイツ色を強めすぎているということではありません。そもそも欧州の裁判所として構築されたことがなく、今なお完全には欧州の裁判所として扱われていないのかもしれない、ということです。
この批判は公正を欠くものですが、その不公正さこそがまさに本稿の主題です。法的には、UPCは締約加盟国に共通の裁判所です。その協定がそう定めており、裁判官はこれを根拠として判断を下し、合議体は制度上多国籍で構成されています。第一審裁判所は、パリに本拠を置きミュンヘンとミラノに支部を有する中央部と、地方部および地域部から構成され、統一特許裁判所協定(UPCA)第8条が第一審合議体の多国籍構成を保障しています。
しかし、制度の法的形式がその実際の姿のすべてを語るわけではありません。裁判所は、設立文書においては欧州的でありながら、その反射的な行動様式においては国家的であることがありえます。条約によって共通のものとされながら、実務によって集中したものとなる。複数の所在地を持ちながら、真の重心はただ一つしかない。
だからこそ、事件の配分をめぐる現在の議論は、通常向けられる無関心以上の扱いに値します。これは事務上の厄介事でも、仕事の割り振りをめぐる地域間の縄張り争いでもありません。UPC時代における最初の真に憲法的な議論である可能性があり、裁判所はこれをそのようなものとして扱うのが賢明でしょう。
この議論の以前の回では、控訴率を取り上げ、有益な否定命題を確認しました。すなわち、欧州はUPCを順位表に変えてはならないということです。控訴統計は、ミュンヘンとマンハイム、デュッセルドルフとパリ、ハーグとミラノを対戦させるスコアボードではなく、控訴裁判所は各国の威信を裁く審判ではありません。これらはすべて正しいことです。しかし、点数を数えることを拒んでも、配分の問題は解決しません。むしろ問題をより鋭いものにします。欧州が裁判所間の競争ではないからこそ、UPCが奉仕すると標榜する大陸全体にその権威を行き渡らせるために十分なことをしているのかを問うことが正当化されるのです。懸念されるのは、ドイツが成功しすぎたことよりも、欧州がまだ十分なことをしていないことです。
成功が集中に転じるとき
避けるべき未来を「単一中心の裁判所」と呼ぶことにしましょう。ドイツがUPCを掌握したわけではなく、そうであるかのように示唆することは誤りであると同時に恩知らずでもあります。ドイツの裁判官、ドイツの地方部、そしてドイツの実務家は、裁判所の信頼性を確立するために多大な貢献をしてきました。彼らは迅速性、手続上の規律、そして真剣さをもたらしました。それらがなければ、UPCは主としてその設計者たちに称賛されるだけの美しい機械にとどまっていたかもしれません。このことは、本論に入る前の儀礼的な前置きとしてではなく、はっきりと述べておかなければなりません。それは論旨の一部なのです。
問題は、ドイツがうまくやりすぎたことよりも、欧州の他の地域がまだ十分なことをしていないことにあります。この呼称が示すリスクは、制度の事実上の標準となったどの国の文化にも生じうるものであり、現時点でそれがドイツの地方部に結びついているのは、ドイツの地方部が最初に、かつ最も目に見える形で成功したからにすぎません。このように理解すれば、再配分は卓越性に科される罰則などではなく、UPCを引き続き欧州の裁判所と呼ぶことができるための制度上の代価なのです。
議論の底にある議論
表面上、争点は訴えの提起先にあります。利用者がドイツを選ぶのは、ドイツの特許訴訟を信頼しているからです。彼らは裁判官、審理のペース、スタイル、救済手段を熟知しており、UPC以前の数十年にわたる経験を、ほとんど摩擦なく新たな制度に移し替えることができます。そこに不合理な点は何もありません。法廷地を選ぶ原告は特許権を行使しているのであって、欧州統合への恋文を書いているわけではなく、そうでないかのように装うべきではありません。
より深い問題は、利用者の選好が、成り行きに任された場合に、欧州の裁判所を築くことができるのかという点です。
一つの答えは、市場はすでに結論を出したというものです。利用者は特定の部を信頼しているからこそ、それを選んでいます。集中は情報に基づく選択の結果です。そこには一理あります。しかし、欧州の裁判所は私的な市場ではなく、司法の正統性は商品ではありません。欧州統合の大部分は、まさに、権力と影響力の自然発生的な集中を追認するためではなく、それに抵抗するよう設計された制度を築くことにあったのです。
したがって、問題は利用者が自由に選択できるべきか否かではありません。自由であるべきです。問題は、彼らの選択が、総体として、共通の裁判所に憲法理論を提供しうるかどうかです。これはまったく別の問いです。
市場は選好を明らかにします。しかし、権威がどのように組織されるべきかを決めるものではありません。
この区別は特許訴訟に固有のものではありません。欧州の制度は、しばしばまさに市場の帰結と憲法上の選択とが食い違うところで生まれます。欧州連合司法裁判所(CJEU)、欧州中央銀行、欧州議会の所在地が、市場による選別だけに委ねられたことは一度もありません。司法の権威も同じ範疇に属します。
この区別は歴史的なものにとどまりません。アメリカ合衆国憲法は、知的財産を科学的・経済的進歩の促進と明示的に結びつけており、連邦議会は、学術および有用な技芸の進歩を促進するために排他的権利を保障する権限を与えられています。欧州法は別の語彙を採用しました。欧州連合基本権憲章第17条第2項は、知的財産は保護される、と簡潔に定めています。重点は経済的な最適化ではなく、より広い憲法秩序の中での法的保護に置かれています。
UPCはこの伝統から生まれました。欧州連合司法裁判所が司法の処理件数を最大化するために創設されたのではないのと同様に、UPCも訴訟の流れを最適化するために創設されたのではありません。共通の法的空間を構築するために創設されたのです。
仮にそれが可能だとすれば、その論理は一方向にしか働きません。最も信頼される部が最も多くの事件を集め、最も多くの事件が最も多くの第一審判決を生み、それらの判決が控訴裁判所の扱う素材の大半を提供し、そこから生まれる法理は、最も多忙な所在地の手続上の勘所を静かに取り込んでいきます。こうした事態が生じるのに、誰かが不適切な行動をとる必要はなく、まさにそれこそが事態を深刻なものにしています。原告は合理的に行動し、被告は合理的に適応し、裁判官は誠実に職務を遂行し、控訴裁判所は調和を図り、論者は集計し、市場は喝采を送ります。そして、誰も縮小しようとしたわけではない裁判所が、その設立時の約束よりも狭いものになっていくのです。単一中心の裁判所が意図的な設計から生まれることはまれです。それは個々には合理的な選択の積み重ねから生じるのです。
すべてではないが、無視できない数字
数字の扱いには慎重さが求められます。裁判所はまだ若く、標本は脆弱であり、合計は何を数えるかによって変わります。侵害訴訟、仮差止め、無効訴訟、反訴、手続命令、控訴、本案判決などです。とはいえ、動きの方向は見誤りようがありません。裁判所の開設3周年にあたる2026年6月のある分析は、ドイツの地方部が仮差止め申立ての70%、本案の侵害訴訟の76%を占めるとし、いずれの類型でもミュンヘンが最も多く選ばれた部であり、ハーグとミラノがそれぞれ仮差止めの約10%でこれに続くとしています。データの別の読み方も同じ方向を示しつつ、周縁部での動きを示唆しています。ある分析は、2026年4月30日時点の年初来の侵害訴訟の申立てにおいてドイツに置かれた部の割合を66%とし、2025年下半期の78.4%から低下し、4月単月では50%にまで下がったとしています。それ以前の推計では、それまでに提起された侵害訴訟の77%がドイツの部に係属していました。
これらの数字は、何らかの偏りを証明するものではありません。ドイツの部が強すぎる、原告に有利すぎる、あるいは国家的すぎることを示すものでもありません。これらの数字が立証するのは、より控えめで、しかしより重大な帰結を伴う事実、すなわち、裁判所には現在、一つの重心があるということです。それは驚くべきことでも、不当なことでもありません。問題は、この重心が次第に欧州で共有される中心となっていくかどうかです。事件こそが、法的問題が最初にどこで提起されるか、手続上の争点がどこで試されるか、証拠がどこで争われるか、秘密保持と請求項解釈の実務がどこで形成されるか、差止めの法理がどこで磨かれるか、そして最終的に、控訴裁判所がどこから共通の法をつくる素材を汲み上げるかを決めます。若い裁判所は、事件の集まるところでその法を形成します。したがって、ドイツのシェアのわずかな低下は、脚注として片づけてよいものではありません。それは軌道が固定されておらず、より均衡のとれた配分が空想ではなく実現可能であることを示す最初の兆しです。配分は表面的な関心事などではなく、法理に名前がつく前の段階での法の形成そのものに関わる問題なのです。
欧州がすでに通った道
UPCは、欧州における共通特許裁判所の最初の試みではありません。長く示唆に富む一連の失敗の中で最後に生き残ったものであり、その系譜は正確に振り返る価値があります。1975年の共同体特許条約(Convention sur le brevet communautaire)は1989年に改訂されましたが、発効することはありませんでした。European Patent Litigation Agreementは、1999年にEuropean Patent Litigation Protocolの名称で始動し、欧州特許機構の下に置かれた訴訟作業部会によって進められ、2002年と2003年に条文案を作成しましたが、共同体法との適合性に対する疑念を背景に2007年に放棄されました。そして、すべての中で最も統合度の高い構想であった欧州特許・共同体特許裁判所は、欧州連合司法裁判所により意見1/09においてEU諸条約と両立しないと判断されました。2013年に署名され、参加するEU加盟国を軸に再構築されたUPCAこそが、欧州が最終的に見出した答えです。欧州特許庁(EPO)が公開している準備作業資料は、これら先行する構想を通じた系譜をたどっています。
この歴史が重要なのは、それぞれの試みが異なるモデルに傾いていたからです。第一は国際・技術型モデルです。効率的で、専門性が高く、実際的であり、欧州特許庁の世界を本拠とし、EPLAと同様に、原則としてEU非加盟国にも開かれています。第二はEUの憲法型モデルです。統合的で、司法的な規律を備え、EU法の自律性と優越性に配慮するものであり、意見1/09によって事実上不可欠のものとされました。第三は国内訴訟型モデルです。なじみがあり、実績があり、手続的に成熟していますが、その精神において必ずしも欧州的ではありません。UPCはこれら三つのモデルの間で交渉された妥協の産物です。この妥協が裁判所を可能にしました。同時に、裁判所を脆弱なものにもしています。今日の危険は、ドイツ型モデルが欧州型モデルに勝利することよりも、UPCが、最も高い成果を上げる国内モデルが事実上の標準となるのを防げるほど強固な欧州型モデルを、ついに発展させなかったかもしれないという可能性にあります。
欧州の裁判所に中心は必要か
UPCにはすでに中心があります。中央部はパリに置かれ、ミュンヘンとミラノに支部を有しています。これは意図的な憲法的選択でした。それが憲法的な役割を果たしているのかを問うてみる価値があります。
欧州の制度は、一般に、目に見える中心を得たときに基盤を確立してきました。欧州特許庁はミュンヘンに、欧州連合司法裁判所はルクセンブルクに、欧州中央銀行はフランクフルトに根を下ろしました。そのいずれも、それによって欧州的でなくなったわけではありません。いずれの場合も、中心が、国際的な取決めを安定した制度的現実へと変える助けとなったのです。
UPCは異なる形で構想されました。真に分散型の裁判所としてです。この構想は、欧州について真実である何か、すなわち権威は共有されなければならないということを反映しています。しかし、共有された権威と不在の権威とは同じものではありません。問題は、UPCがよりドイツ的になるべきか、よりフランス的になるべきかではありません。
問題は、UPCが端的に欧州的な重心を発展させてきたかどうかです。
現時点では、その答えは自明ではありません。裁判所の実務上のエネルギーの多くはドイツから来ています。その憲法上の正統性の多くはルクセンブルクから来ています。形式上の中心はパリにあります。ミラノは司法の担い手として成長しています。ハーグは引き続き事件を引き寄せています。これらはいずれも、それ自体としては問題ではありません。難しいのは、これらの要素がまだ一貫した制度の物語を構成していないことです。
利用者はどこに訴えを提起すべきかを知っています。彼らが欧州がどこにあるのかを知っているかは、それほど確かではありません。
裁判所は支配的な都市がなくても機能しえます。しかし、認識可能な憲法上の中心なしに存続しうるかは、それほど明らかではありません。
これは抽象的に聞こえるかもしれません。しかし、そうではありません。制度が持ちこたえるのは、利用者がそれを単なる手続の仕組みとしてではなく、真の法共同体として理解するときです。UPCにとってのリスクは、ドイツの部が成功し続けることではありません。リスクは、その成功が裁判所について読み取れる唯一の物語となり、訴えの提起先をめぐる慣行が制度としてのアイデンティティに取って代わることです。
欧州特許庁の教訓は、欧州に必要なのは第二のミュンヘンではなく、その共通の制度が実際にどこに存在するのかという問いに対する説得力のある答えだということです。
UPCは、その答えをパリに、ルクセンブルクに、より均衡のとれた部のネットワークに、あるいはこれら三つの組合せに見出すことができます。しかし、答えを見出せなければ、いずれ他の者たちが別のモデルを探し始めるでしょう。そこからUPCなき世界が始まります。欧州の裁判所の究極の試金石は、誰もがどこに訴えを提起すべきかを知っていることではなく、誰もがどこでそれを再建すべきかを知っていることなのかもしれません。
再配分に求められる射程
この議論が何であるかを正確にしておく価値があります。その反対の主張は容易に戯画化されるからです。再配分の主張は一つの考えに集約されます。すなわち、ドイツに持ち込まれる事件の数がいくつであれ、欧州の裁判所には欧州的な法形成の生態系が必要だということです。この主張は、利用者をドイツの各部から遠ざけることなく、裁判所自身のより多くの部分を信頼する理由を利用者に与えるよう、裁判所に求めるものです。また、共通の裁判所のいかなる部も、パリ、ミラノ、ハーグその他どこであれ、制度上の飾りになってはならないことを求めます。目的は、ドイツの各部の重みを減らすことではなく、裁判所の残りの部分の重みを増すことにあります。目指すのは、均等な配分ではなく、十分な配分です。欧州の裁判所は対称性を求めません。求めるのは参加です。
この区別は、修辞上の気取りどころか、すべてを決するものです。議論がドイツ対その他という構図になれば、知的にも政治的にも失敗し、そのうえ不公正なものとなるでしょう。ドイツにUPCを支えるよう求めておきながら、その支え方が目立ちすぎると非難することはできません。正しい問いは、ドイツの成功を抑制すべきかどうかではなく、他の地域における欧州的な利用不足を、マーケティングの問題としてではなく憲法上の警告として読むべきかどうかです。あらゆる制度上の問いが魅力度の指標に還元されるわけではありません。裁判所はプラットフォームではなく、正統性は市場シェアではありません。
このことは、粗雑な割当制も、書記局が片付け損ねた家具のように事件を大陸中に動かすことも、利用者が今日信頼している部を弱体化させることも意味するものであってはなりません。制度を魅力あるものにした裁判所の部分を罰することは、制度をより欧州的にするための奇妙な方法でしょう。理にかなった措置はより精密なものであり、その大半は今すぐ実行可能です。
第一は情報です。裁判所は、定期的に、真の欧州配分報告書を公表すべきです。それはパンフレットでもランキングでもなく、訴訟類型、求められた救済、技術分野、手続言語、訴額、当事者の住所、原審の部、合議体の構成、控訴審での帰趨ごとに事件記録を整理した制度上の文書です。目的は勝者を戴冠させることではなく、裁判所の法が実際にどこで形成されているかを誠実に見ることにあります。
第二は思考の習慣、すなわち制度上の選択に適用される配分への影響評価の枠組みです。実務慣行が定められ、合議体が編成され、言語が指定され、指針が公表され、裁判官が配属され、あるいは判例が発信されるときには、一つの問いが声に出して問われるべきです。それは、そのことが裁判所をその利用においてより欧州的にするのか、それとも裁判所がすでに最も強いところでより効率的にするだけなのか、という問いです。
第三は、法廷そのものに関わります。UPCA第8条はすでに第一審の合議体に多国籍の構成を与えていますが、形式上の保障は目に見える保障ではありません。適切な事件、とりわけ事件数の多い部においては、自国籍でない裁判官がより頻繁に報告裁判官(juge-rapporteur)を務め、あるいは審理の運営においてより目立つ役割を担うことができるでしょう。それは象徴的な持ち回りを好むからではなく、事件が国内の場所で提起された場合であっても、判決の担い手は欧州であり続けることを明らかにするためです。
第四は予測可能性です。利用者がドイツを選ぶのは、そこで何が起こるかを知っていると信じているからです。答えはこの選択を道徳的に非難することではなく、他の選択肢を同じように見通しやすくすることです。すなわち、期日の予定、口頭審理の構成、適切な場合における暫定的見解の表明、秘密保持の実務、証拠の取扱い、補正の実務および訴訟費用の担保について、裁判所全体で透明性を確保することによってです。予測可能性は裁判所の属性であるべきであり、その一部の法廷の特性であってはなりません。
第五は言語です。英語はすでにUPCの実務を支配しています。ある集計によれば、2026年4月30日時点で、英語は第一審の申立ての3分の2超を占めていました。各国語を排除することなく、より多くの部で英語を実際に利用可能にすれば、ドイツ以外の法廷の利用を妨げている現実の障害の一つが取り除かれるでしょう。目的は言語の画一化ではなく、等しいアクセス可能性です。
第六は、協調的な訴訟キャンペーンについての柔軟な非集中原則です。同一の原告または同一のグループが、短期間に同一の被告に対して複数の関連訴訟を提起する場合、制度は少なくとも、そのすべてが同じ国内の部のグループに係属すべきかどうかを自問することができるでしょう。現行の協定は強制的な再配分を認めていません。UPCA第33条は当事者に定められた途を与え、中央部への移送は、当事者の合意による場合を含め、特定の状況においてのみ認めています。しかし、指針、手続準備段階での働きかけ、当事者間の合意による移送によって、裁判所に本来ない権限を付与することなく、すでに実務の方向を変えることができます。
第七は、第87条に基づく見直しを真剣に、かつ早期に受け止めることです。UPCA第87条は、発効から7年後、または2,000件の侵害事件の判決後のいずれか遅い時点で、裁判所の機能、効率性、費用対効果、および裁判所に寄せられる信頼について、利用者への広範な意見聴取を行うことを定めています。この見直しには配分に関する章が含まれるべきであり、裁判所は、データの収集を始めるために正式な期限を待つべきではありません。影の見直しは、今すぐ始めることができ、また始めるべきです。
実務の余地と条約の専権領域
これらの区分を明確に保つこと自体が法的衛生の問題です。行き過ぎた再配分論は、提唱されるのと同じ速さで退けられるからです。より良いデータ、より率直な情報発信、多国籍合議体のより目に見える活用は、何らの改正も必要としません。英語のより広い利用可能性は、言語の指定に応じて、主として各国および制度上の選択に属します。UPCA第33条がすでに認めている場合に中央部への合意による移送を奨励することは、裁判所の権限についていかなる擬制も必要としません。
他の構想は性質を異にします。中央部のより柔軟な管轄上の役割、非侵害確認の制度の見直し、あるいは協調的キャンペーンを処理する真の仕組みは、誠実に読む限り、UPCAそのものの改正を必要とするでしょう。協定がそれらを支えていないのであれば、手続規則に密かに持ち込まれてはなりません。裁判所は、自らの法的基盤をひそかに引き延ばすことによってより正統になるわけではありません。まさにそれゆえに、再配分をめぐる議論は、実務によって即興的に進められ事後に示されるのではなく、制度化され、公然と論じられなければならないのです。
UPCなき世界
UPCなき世界とは、ありそうな仮定においては、裁判所が消滅する世界ではありません。それはUPCにとってさえ、あまりに映画的にすぎるでしょう。ありうる失敗はもっと静かなものです。裁判所は存続し、ウェブサイトは機能し、判決は下され、会議は増え、利用者は提訴を続け、控訴裁判所は調和を図り続け、目に見えるあらゆる尺度において制度は成功しています。縮んでいくのは、頭の中の地図です。危険は、裁判所の実務上のイメージが、その制度的構造よりも狭くなることです。他の部は、管轄を有し、尊重され、形式上は対等であり続けますが、十分に利用されず、事件がないことが事件を送らない理由となり、実績がないことが実績を築くことのできない理由となります。裁判所は法の上では欧州的であり続けながら、職業人の想像の中では欧州的でなくなるのです。
これこそが集中の真のシナリオです。それは国家による支配ではなく、信頼を分配することに欧州が失敗することです。
第一のシナリオは、舵取りされたUPCであり、目指すべきはこれです。裁判所は配分を、広報上の煩わしさとしてではなく正統性の指標として扱います。すなわち、より良いデータを収集し、誠実な分析を公表し、各部の間で手続上の予測可能性を均し、多国籍合議体をより目に見えるものにし、協定が認める範囲で当事者間の合意による再配分を奨励し、第87条に基づく見直しを真剣に準備します。ドイツの各部は強いままですが、その強さがもはや裁判所のアイデンティティを規定することはありません。
第二は集中の未来です。誰も何も廃止しません。誰も失敗を宣言しません。ドイツの各部は第一審の侵害訴訟を引き続き支配し、控訴裁判所はその構成において欧州的であり続ける一方で、その下にある素材は地理的に集中したままとなり、他の部はやがて自然な選択の場というより形式上の選択肢のように見えてきます。裁判所は機能します。ただし、国内の居心地の良い領域を通じて提供される欧州的な救済としてです。
第三は、UPC後の欧州特許裁判所であり、思弁的ではあるものの荒唐無稽ではないシナリオです。UPCがいつの日か、実務において十分に欧州的になることが構造的に不可能だと判断されるならば、欧州は、半世紀にわたって試みてきたことをもう一度試みるかもしれません。すなわち、より公然と欧州的で、EUの法秩序により緊密に結びつき、より強い中央のアイデンティティと、より意図的な地理的均衡を備えた裁判所です。その系譜は、このようなモデルがEUの現在の範囲に限定されるべきではないことさえ示唆しています。結局のところ、EPLAは、EU非加盟の欧州特許条約(EPC)締約国にも開かれたものとして構想されていたのです。しかし、意見1/09は、EU憲法がまるで技術的な注記であるかのように欧州特許裁判所を設計することはできないことを、常に想起させます。あえて言えば、困難が欧州による特許制度の構築を妨げたことはありません。困難はそれを遅らせ、複雑にし、時には小説よりも奇妙なものにしてきただけです。
問題は、欧州が別の裁判所を必要としているかどうかではありません。問題は、欧州がすでに築いた裁判所が、その欧州的な使命を完全に実現できるかどうかです。
結論:ランキングでもなく、無視すべき地図でもなく
UPCは、分断を乗り越えるために築かれたのであって、それをより洗練された形で再生産するためではありません。共通の裁判所を築くためであって、主として国内の居心地の良い領域を通じて欧州的な救済を提供するためではありません。古い国内的な反射を乗り越えるためであって、その中で最も優れたものを見つけ出し、それを欧州と呼び替えるためではありません。このように見れば、この挑発には相応の価値があります。UPCの成功の次の段階は、ドイツ的、フランス的、オランダ的あるいはイタリア的でなくなることではなく、より目に見えて欧州的になることにあるのかもしれません。
だからこそ再配分が重要なのです。ドイツが抑制されるべきだからではなく、フランス、イタリアあるいはオランダが埋め合わせを受けるべきだからでもなく、まして裁判所が外交上の席次表のように整えられるべきだからでもありません。再配分が重要なのは、自らの権威を分配することのできない欧州の裁判所は、遅かれ早かれ、権威は習慣に従うものであり、習慣は憲法上の設計の貧弱な代用品にすぎないことに気づくことになるからです。
まだ時間はあります。そして、この議論が存在すること自体が健全さの徴候でありえます。若い裁判所には、圧力と修正と想像力が必要です。しかし、欧州がこの帰結を避けようとするのであれば、配分を統計の中に分類するのをやめ、正統性の中に分類し始めるべきです。配分は裁判所の未来の地図であり、地図は、特許とは異なり、国ごとに有効化されるものではありません。UPCの未来は、最終的に、欧州がそこに単に成功している裁判所ではなく、共通の裁判所を見続けるかどうかにかかっているでしょう。
よくあるご質問
UPCへの事件の集中は正統性を欠くものでしょうか?
いいえ。数字は何らの偏りも証明しておらず、利用者の選択は合理的です。数字が示しているのは、裁判所が今日、重心を有しているということだけです。憲法上の問いは、この重心が次第に欧州で共有される中心となっていくかどうかです。
UPCはUPCAを改正せずに何ができるのでしょうか?
本格的な配分データを公表すること、制度上の選択に影響評価の枠組みを適用すること、多国籍合議体を目に見えるものにすること、手続上の予測可能性を均すこと、英語への実際上のアクセスを広げること、そしてUPCA第33条の枠内で中央部への合意による移送を奨励することです。これに対し、事件の強制的な再配分には条約の改正が必要となるでしょう。
UPCA第87条は何を定めていますか?
発効から7年後、または2,000件の侵害事件の判決後のいずれか遅い時点で、裁判所の機能、効率性、費用対効果、および裁判所に寄せられる信頼について、利用者への広範な意見聴取を行うことです。配分に充てられた章を今すぐ準備することを妨げるものは何もありません。
UPCの欧州的な構築を追う
当事務所は、統一特許裁判所において依頼者を代理し、その訴訟の地理を注視しています。当事務所の分析(Valeo c. Boschと事件の配分、UPCにおける並行訴訟)は、この読み方をさらに展開するものです。当事務所のフランスにおける特許およびUPCのコレスポンデントサービスは、とりわけ欧州戦略を構築する外国の法律事務所を対象としています。ご相談は、こちらからお問い合わせください。
本稿は、Matthieu Dhenneが2026年6月9日にKluwer Patent Blogで最初に公表した分析The World Without the UPC: How a Successful Court Could Still Disappearを独自に翻案したものです。引用した文献(CJEUの意見1/09、UPCA第8条、第33条および第87条、2026年6月の統計分析)の詳細は、原文をご覧ください。